音楽のある生活

 ぼくらーが生まれた時には音があるー。

 日常には音楽が溢れている。
 遮断機の音、電気が流れるきーんとした音、洗濯機の音、車が走り、猫が騒ぎ、お店に入れば有線が流れている。屁の音、小便の音。雑音だって音楽だ。君が腕の中で鳴く声だって音楽だ。
 あらゆる時間芸術の中で最も意味があり意味を持たないものは音ではないかとも思うのだが、やはり音楽は幸せだ。
 ねえ、そこに転がってるタンバリン叩いてみてよ。僕はこのヴァイオリンを弾いてみるよ。/弾けるの?/ううん。全然。/なによ。それじゃ、ダメだわ。/いいから。叩いてごらん。
 そうして音楽は始まる。
 だめね。酷い音。/あはは。君も酷いリズムだ。
 じゃあ。こうしよう。君はずっと同じリズムでタンタンタンタンと叩いてみて。僕はラの音をがんばって出してみるよ。
 そうして会話が始まる。コミュニケーションの始まりは他人が他人であるということを認めることから始まる。もし、その他人がひどく自分と違った存在であったとしても、言葉がまるで通じない相手だとしても、誰かが誰かの価値に縛られることなく誰もが誰かの価値を裁断することなく。でも、果たしてそれは成り立つ要因だろうか。どこまでを許容しどこまでを認可し、どこまでをその人間存在としてあるがままに認めることができるであろう。できるであろう。

 ぼくらーが生まれた時には音があるー。生まれるー前からー音があるー。

 所詮、人間など、音の波に比べると小さなものだ。