追記[ふしぎ社会]

なんていうか、後追いで選挙の話を追っかけてみたら、キリスト教原理主義の話に辿り着いたんだけど、ノーブルでキレイキレイした世界と現実の乖離を意識しないというか、敢えて「見ない」という選択をしたように思う。
保守的に意識的に「見ない/見せない」という選択がもたらす結果はおって図るべし。

ブッシュ大統領、再選おめでとうございます!
参照:http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20041105
なんか中世が戻ってきたみたいだ。

そうそう。ここ↓にあがってる地図なんだけど。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20041104
同じことがなんか日本にも言えるような気がする。自民党の政治基盤はずっと都市部ではなく農村部だったんだけど、新保守の台頭によって都市部でも多くなったというシナリオに似てる。

なん回か前の大統領選挙ぐらいまで、「アメリカの父親像」を選ぶような雰囲気だったんだけど、パパブッシュかクリントンあたりから、「父親像」ではなくて「叔父さん」というキャラを選ぶような雰囲気になってきたような気がする。
「うるさくて面倒ばかり起こして、自分の親だと絶対嫌なんだけど、見てる分にはオモロイ親戚の叔父さん」
なんかそんな気がする。

ゲイと中絶に反対って、文明国じゃねーなー。
じゃあ文明とはなんだ?
身の丈3メートル四方のリアルか!?
DQN万歳。
世界が崩壊するならこの目で見てみたい。

「国民の自尊心」維持って結構大事な気もするんですよ。
国民は政治には興味ないから。ややこしいことよりも、簡単で卑近な3メートル四方のリアルによって、自己認識するために選択するという形で、「個人にとっての世界」は確実に狭まってきていると思う。その「狭まった世界」の中での「選択」は非常に与えられた情報に弱い。意図的に情報を探す能力を見出すことを放棄しがちなのではないか。