「フィール・ライク・ゴーイング・ホーム」

同上。今日、見てきました。
これは一転して凄くよかった。監督がマーティン・スコセッシ
なるほど。
現役のブルースマンのコーリー・ハリスが案内役でいろんな場所に行きます。初めは南部のミシシッピの長老あたりに接触してそこから、起源へとさかのぼって、アフリカにまで旅をします。そう。「起源への旅」と「音楽とは何か?」が基本的な物語の骨子になっているので、そこから導き出されるある種の主張がかいま見れます。(つまり、ロード・トゥ・メンフィス以外の数本には、何もないんです。酷い。)
流れはこうでした。
マディ→ロバジョン→アフリカンの流れを汲むブルースマン(の象徴としてサン・ハウス、ジョンリーフッカー)→北部ミシシッピー領域のミュージシャン達(オーサー・ターナー)そのアフリカ源流のリズム→アフリカ、マリ→サリフケイタ、アビブ・コワテ、アリ・ファルカトゥーレ。→オーサーターナー
後半になって、アフリカに近接してゆくぐらいからがとても良くて、音楽の起源、人間の起源への遡及を描いていた。

真ん中あたりで、ケブ・モとコーリー・ハリスがセッションをしてるシーンで、「ブルースを完コピするバカがいてさ」みたいな話をしてて、「ミスしてる部分までコピるなんて馬鹿らしい。ブルースってそういうもんじゃないんだよ。HAHAHA」とか言ってる部分があって、凄く同意した。
特に、日本のブルースシーンというのは、完コピするのがすばらしいみたいなところがあって、くだらないと思ってたんだけど、やっぱりそうなんだよな、と思う。そこら辺はギター弾いてた時に、非常に腹立たしく思ってたところだったので、溜飲が下がった。
最近はどんな風になってるのか知らないけど。

一時から、ブルースに関して冷めた見方になっていったのには、かなりの部分、そういうところがあって、ロックバンドの延長で、ブルースやるな!と。もっと殺伐としたもんなんだ。ブルースっていうものは!みたいな憤り。。。

で、最終的に思ったのは、「神話化」と言うのは音楽を死滅させるということ。
たとえば「ビートルズ神話」とか「ストーンズ神話」とか、うざい。ブルースの神話はもう滅ぶべきだと思う。神話、ブルースにまつわる物語、そういうのを全て放り出して、ただ、音だけ、ブルースの音だけが欲しい。