欲望というのは

 ある状態・状況・欲望対象の表層などに反応する、心的コードだと思う。そのコードをどう心理的に受容するのか、どう心理的に解釈するのかによって、欲望が喚起されたりされなかったりする訳で、コードというのは、情報を受ける側の情報推理能力や思い込みやらに規定された、思考の「回路」だと思う。
 その回路を多くしてゆくというのと、脳の発達というのと並行的な関係だったりするのだけど(これがいわゆる「バカの壁」の話)、そうした回路を多く持つというのが、「知恵」とか「大人になる」というか、「世界認識の拡大」ということに繋がると思う。
 多くの「萌え」のコードを持つことが、自己内性的な成長だとすると、多くの「萌え」論者は、ある一定の「萌え」コードの中の慣れ親しんだ性的行動/性的回路の中に留まってしまうのではないか、とも思える。
 本質的な意味で言えば、回路の発達、回路の拡張や回路の開拓が、人を豊かにするのではないか?とも思うが、果たして、人は一生の中で、どれだけの欲望装置を自らの中に用意できるのであるのか。時間も人も限られている。限りなく広がってゆくことがたとえ出来たとしても、それだけの時間や金や人は、その人の中や周囲に用意できるのであろうか?
 これって、凄く難しいと共に、面白いと思う。
 ああ、いっぱい書きたいけど、またの機会に。