ええ?「アフターダーク」ってそんなに好意的に読まれてるの?

と驚いたのが深夜2時。慌てて検索して片っ端から見てみたんだけど、なんというか散々な状況で。なんとまあ日本には「本が読めない」人たちが多いことか。唖然としてしまった。
と、はてなで書くからには、はてなのキーワードのアフターダークhttp://d.hatena.ne.jp/asin/4062125366)のリンク先のほとんどに喧嘩を売ってるのと同じことだけど。まあいいよね。感想なんて人それぞれだし。

ネタ探し(そこまでやるような作品でもないでしょ、と思うが)
http://www.diana.dti.ne.jp/~piccoli/haruki-afterdark.htm

すごくいい書評
http://critic.exblog.jp/i11
「(4)−若い読者との距離感」の文章で

  • 「寸止め」が今の若い世代の常態なのであり、マリ程度のところがちょうど具合がいい按配なのではないのか。高橋くらいまでだと深すぎて重すぎる感じになるのではないのか。若い世代は『海辺のカフカ』では村上作品を実感として素晴らしいと感じられず、『アフターダーク』程度でようやくその雰囲気(村上春樹の世界)に接触できた気分になるのに違いない。若い世代にとって『海辺のカフカ』は何やらドストエフスキーのような難解で敬遠すべき歴史的偶像の存在になってしまうのではないか。今回の作品に狙いがあるとして、村上春樹の意図どおりに結果が出る局面というのは、従来のコアの読者層から「物足りない」という不満が出て、逆に新しい若い世代層から「面白い」という評価を受けること。私はそう思っている。

とあるが、僕もそう思う。
検索していろんなサイトの感想をみたら、「もう一度読み直します」とか「続編を希望」というのがあまりにも多くて、「もう一度読み直します」という言葉は、たとえば子供が「となりのトトロ」を何度も何度も観てしまうのに似てるような気がした。たいしたことが書かれてなくても内容的に深くなくてもいい。分かりやすい(パッと見で分かりやすいのはダメ。ちょっとそこに意味が有りそうだみたいな余韻を含ませるだけでいい)ストーリーと、大々的な宣伝(ラジオスポット・渋谷で大キャンペーン・文芸誌総出演での宣伝便乗合戦)がありさえすれば、<つまらないものでもご大層なものに見える>というわけだ。やれやれ。
もちろん文章は上手い。手法は凡庸で使い古されて小説にとってなんら意味がない。視点の話なら視点が物語と有機的に交わってないと単にあたらしい視点使ってみました!(^ー^)ノイエイってなもんだ。内容の説明を受けても「あ、そう。それで?」みたいな話だし、1400円も出すならもっと他に(たとえばシンセミアの一冊とかを)買った方がいいと思います。
なんかハルキストに対する反論めいた感想を書こうと思ったんだけど、ばかばかしく面倒になってきた。。。。

  • 初期の作品は村上さんが書きたいことを書けば「新しい小説だ」とみんな感心し、「ノルウェイの森」「国境の南、太陽の西」くらいまでは、書きたいものを書いたら時代の空気にちょうどフィットしていたのに、村上さんも年齢を重ねるにつれ、「自分の書きたいもの、書けるもの」と「時代」とのギャップを感じるようになったのではないか、という気もするのだ。『アフターダーク』は、「作為」とか「苦心」みたいなものが、ものすごく伝わってくる作品だから。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/68818/diary.html


笑った
http://www.hatena.ne.jp/1094806364

「ショート・カッツ」はカーバーの短編を纏めたものと、先行作品として「ショートカッツ」があったからこそ「マグノリア」は制作されたのだという映画的な知識があってこの人はこの文を書いてると思うんだけど。

http://kasasagi.blog.ocn.ne.jp/weatherstation/2004/09/post_9.html