「連合赤軍とオウム<わが内なるアルカイダ>」 

ゾエトロープ

田原総一郎著 集英社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087813118/qid=1094743398/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/250-8929573-7112229
(タバコの煙に噎せてコーヒーを吹いてしまった本の山のひとつ。読みました。)

全体を3章に分けていて、第一章をアルカイダの話。第二章をオウム。第三章を連赤になってる3部仕立て。あとがきにもあるけど「イケイケドンドン」の流れに乗って思考停止するという経過を考えたという流れだと思う。掲載されている各章の中の文章は順番に対談されていったんだろうと思われるが、対談者のメンツはさすがと言える。だが、オジサン向きに「これを読んだら、なんだか分かってしまっちゃった!」みたいに編集されているので、面白いことには違いないが、ちょっと物足りないかもしれない。でも所々に興味深い部分があったりして、元赤軍の梅垣氏とかが榛名山での総括の場面を語る部分などはとても状況描写に優れている。「知」とは思考とは、人々の意志ってなんなんだ?みたいな問いが含まれている。理想に向かってゆくという行為をその半面の集団の論理と状況っていうのはどういうものかというのが、とても興味深い。
アルカイダにしろ、オウムにしろ、赤軍にしろ優秀で頭も良い人々がどのように白熱してゆくかと。。

集団というのは、一応トップとその下の人々という階層が作られる(もしくは要求される)。あらゆる集団には先導者とその理念に興味なり関心なりを示した、もしくは雇われた人々がいる。人々側は何か問題が起こった場合に解答を求める。トップはその解答を答える必要がある。簡単に分かりやすい答えを人は求めるが、実際、そう簡単な答えを彼らに渡しても良いのかという思いがしてならない。答えと指針というのは、与えられる側はその組織に対して安心感を得ることができるが、実際は、彼らは「問う」ということで思考することを放棄することができるし、自己に対する責任を放棄しやすい。上に文句をいうだけは誰でもできる。あらかじめ解答が見える材料/物語をしめしてやれば、たぶん、人はそのように動くだろう。そして、そのようなもので出来たものとというのは、概してつまらないし、そういうトップダウンの集団にはもう価値がないんじゃないかな?とか思ってしまう場合が多々あるのだ。